数の秘密とフォーカスポイントをずらすことについて

 

 

私の場合は、「延命十句観音経」については大して実践を深化させておらず
それを主観で評価するとなると難しいところがあります。

 

正直、合う合わないというのが何によって決まるかが、よく観えてはこないとこもある。

 

 

もちろん、このお経の恩恵は、いろんな本が出ていて、「 延命十句霊験記 」を筆頭に
たくさん執筆されてはいる。

 

 

 

7、8冊、この関係の本を読んだ中では数のことにも言及している
「 延命十句観音経霊験記 」という以下の泉源( 熱源 )の本以外では

 

 

 

ニュートラルな執筆スタンスや立ち位置的な点
さらに、この本の著者も私が先に紹介した「 霊験記 」を重要視なさってて
巧みな筆致でガイドしてるのが凄いもんだと思ったというのも併せて

 

 

 

立花大敬著 「 劇的に運がよくなる延命十句観音経 」

 

 

という本が、さすが元高校の物理教師の方が執筆しただけあって
私としてはわかりやすくフラットな感じでよかったと思っています。

 

 

なお、この本の著者は般若心経も同書で訳しておられますが
これについては桑田二郎著「 般若心経の霊妙力 」の訳のほうが
私には、よりよく感じられてよかったですけど・・

 

 

 

いずれにしろ

 

 

 

「 形而上のお話 」も、主観領域のもので棚上げにするしかない。

 

 

 

 

 

私自身が実践継続した結果、主観的にどうだったか?というのも、主観的なものをサイトで公表すべきではないし
今後も自分自身を被験者にして淡々と続けるつもりだけど

 

 

 

そういう形而上の奇譚なことは、この際そっと棚上げさせていただく方針にし
別のとこにフォーカスしたほうがよいという結論に達したわけです。

 

 

 

功徳云々を先行させないほうがよいと思った大きな理由の一つは

 

 

500年に一人というような高徳の僧が

 

 

 

十のうちの八か九まで(80%または90%の確率)で
大利益を得ずということは決してない!
今日に至って力を得るものは何千人という数を知らない! 

 

 

 

と言い切ってる方法を実践して

 

 

 

一生懸命に信じてやってなんらかの効験が得られなかったら恐らく寂しいと思うんで・・・

 

 

 

 

 

 

 

推定の域を出ないけど白隠禅師が大名にあてた手紙のような奇跡が起こるには、
いろんな条件が重なり合い全てのピースが揃う必要があるのでしょう。

 

 

 

白隠禅師が書き送った手紙の中の奇譚現象の逸話を
よくよく具(つぶさ)に調べると3人以上が寄り集まって
強烈に心を一つにして利他心にあふれた強い信念をもって
一致団結して実行してます。

 

 

 

バイブルなどでもマタイによる福音書 18章などを読むと
「ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」
という聖句もあるように心を一つにするというのが重要とある。

 

 

 

あるいは身をそぎ落とすような強い決意というのが、そこにはあります。

 

 

 

 

 

それに・・そもそも論になりますが

 

 

 

昔の人は神仏を本気かつ素朴に信じていて、そういう雰囲気と言いますか

 

 

 

( 証明ができない非合理で非科学的なこと書きますけど )

 

 

 

精神風土と言いますか・・・´場´のエネルギーみたいのも影響したのではないかと思われます。

 

 

 

恩恵につながりやすい風土ってあるのではないでしょうか?

 

 

 

そもそも奇跡なんて、そんな闇雲にポンポン起きない。
だから奇跡というわけで・・先に挙げた以外にも恐らく、いろんな条件が重なりあう必要があると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それに・・もし、あなたが、そういう奇跡は棚上げし

 

 

 

私みたいな動機で白隠禅師の言葉を信じることにして、このお経を不退転の決意で
気海丹田に向けて深い集中を込め清らな気持ちをのっけて読誦していったら
阿頼耶識という潜在意識の最深部のクリーニングになるし
自身をよりよくし、いろんな縛りから解かれる
という´すごいご利益´がある可能性があると期待して実行したとしても

 

 

 

これを念誦して得られる個々の体験も千差万別だと思うし
謎( エニグマ )だらけなとこがあるのは否定できない。

 

 

 

 

 

白隠禅師を心底尊敬してる方が、これを読んだら

 

 

 

お前は、高僧と言われた禅師が大利益を得ずということは決してない!
と仰ってる方法を信じないのか!愚弄するのか!

 

 

 

奇跡に条件など付けるな!とお叱りを受けそうですが・・

 

 

 

 

 

謎( エニグマ )が多い方法なので

 

 

 

もし、あなたが、このサイトをきっかけに、これを実行する気になって一生懸命に信じてやって

 

 

 

なんらの恩恵も得られなかったら、きっと凄く寂しいと思うし

 

 

 

サイトにアップした以上私もそれは本意ではないです。

 

 

 

このページを執筆してる私自身が、そういうのを幾百も、わが身をもって味わっていて
骨髄に染みてわかるんで真剣に実践した人には、そういう気持を味わってほしくない・・
というのが強くある。

 

 

 

 

 

 

 

ですから別のとこにフォーカスする。

 

 

 

どこにフォーカスするかと言いますと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分自身をよくするためにということで実践なさる方がいたとしたら
せめて一生懸命に為さった方は
霊験記や本などにあるような華々しい報告にあるような奇跡的なこと
まではいかなくっても、せめて能力開発面の脳の活性化と丹田強化を含む
クンバハカの条件付けとコンクリーティングという点で最低でもご利益は得られる
´最低保証´みたいのだけは、私のほうで誘導付けくらいはできると思っています。

 

 

 

 

最低の保険というのは事実として私自身が能力開発の切り口に
実験工学的なアプローチを試み
能力開発と変性意識の遷移というので、心身に過大な負荷をかけない馴らすやり方の実践を累積させてて
ふと気づいた「 恩恵 」というのがあって、これなら個人差は多少はあっても
もちろん非科学的なことに変わりはないですが・・
とにかく丁寧に継続してやれば誰でもがある一定の再現性を
ある程度までは合理的に確保できるだろうと思うからです。
セーフティネットと申したらよいのか・・

 

とにかく先の形而上の奇譚は、そおっと棚上げさせていただき

 

フォーカスするポイントを別のとこにずらしてやる´その別の視点´というのは何か?
というのについて次に書いてみます。

 

 

それは延命十句観音経を脳を少しずつ慣らし最適化させながら
集中してクンバハカした丹田に向けて1000回の累積読誦するというのが
ある澄んだ意識領域に入りやすくなる何らかの一つの分水嶺になるってことです。
ついでに物事に揺さぶられないどっしりしたクンバハカ( 丹田 )への意識付けが数稽古で強固になるという特典が付く。

 

 

 

そういう面で、この十句のお経は目覚ましい作用がある。

 

 

 

 

 

 

 

腰を引きながら腹を出し肩を弛めグッとクンバハカし氣海丹田の寶(宝)所に向けて
仏具とかなくっても只真心と敬愛をこめて単々に有我一念で念唱して、少しずつ早く暗唱できるよう数を累積させていくと
1000回を越える辺りで脳が馴れて不思議に読誦( 念唱 )スピードがバカっと数倍に跳ね上がる

 

 

 

いったん、これに入りやすくなると次から、すぐに入りやすくなるし
脳( 前頭前野 )も活性的に最適化されてる。

 

 

 

 

 

もちろんこれだって、ナビがなく、ただ漫然と暗中模索でやるのでは
挫折する方も多いと思います。
( 実際、高校生の時に私自身が類したことを実践し挫折してます )

 

 

 

 

 

これには背景も書かないといけないので、ほろ苦い挫折体験のひとつを已む無く書きますが

 

 

 

高校時代の受験勉強で主に環境面などの諸般の事情で切羽詰まって

 

 

´頭そのもの´をよくしないといけないという気持ちに駆られ

 

ある本を読んだことがきっかけで脳の活性化に「 不動真言 」がよいと聞いて

 

 

丹田とか呼吸とか、脳の馴らしとかわからず、とにかく闇雲にやったことがあるんです。

 

 

 

ですが

 

 

 

5000回くらいやった記憶があるけど脳が活性化された感覚はなかったんです。

 

 

 

けどガイドがあり、かつ意識するポイントが明確で
丹田というのが実はポイントなので
五里霧中でやるよりは投げ出す方は少なく確実なはず。

 

 

また、必然的に丹田およびクンバハカへの条件付けが数稽古で施される。

 

 

白隠禅師も「 気海丹田に 主心がすめば 四百四病も皆消ゆる!」
臍(へそ)の辻から二町下つねに気海に氣をおけ!とおっしゃってる。
白隠禅師のご指摘に限らず
神仙道などでも気海丹田は万能薬が生まれる泉とされてます。

 

 

ですけど、これがよいと知って信じれて

 

 

 

クンバハカを訓練することや氣海丹田に意識を置くっていうの・・
理屈では、よいのは頭でわかってても地味すぎて簡単すぎて
何かないとできないでしょ。

 

 

 

 

 

なので、こういうのと抱き合わせでやるとよいというのがある。

 

 

 

 

 

なお別にこういったクンバハカの条件付け( コンクリーティング )と氣海丹田への意識付けは
般若心経の時でも習慣性を応用させながら実践して
それが習いになるというのは実際の体験で確認できてますし

 

 

 

大祓祝詞でも奏上する際に氣海丹田を意識するようにして奏上していって
1000回前後の累積で意識が、すとんと下がって
純粋意識の近傍にスッと入りやすくなると言ったらよいのか
急激に暗唱( 念誦 )スピードが上がりました。
それは私自身も体験しています。

 

 

 

で・・なんでこんなことを書いたかと言いますと、別に自慢で書いてるのではなく

 

 

 

単純に天風先生の口述書にもあるように
心を鈍らにしちゃいけない・・使いこなす必要がある・・そういう点で集中力を磨くことにもなるだろうからというのもあって・・
ライフ・ワークのスクリーニングも兼ねた精神鍛錬で地味〜に
ほんと地味だなと思うけど・・あまり器用ではない私には、こういうのが合ってると思ったしクンバハカの訓練になると思い
習慣慣性を応用させながら続けてるだけでして

 

 

 

般若心経や大祓祝詞はそれはそれで凄い功徳があるんだと思うけども

 

 

 

集中力を磨き、ある意識領域に、スッと入る微かな手ごたえを感じることや
クンバハカのコンクリーティングというのが目的だったら

 

 

 

心経や大祓祝詞を1000巻読誦するより

 

 

 

「 延命十句観音経 」これを気海丹田の寶所に向けてクンバハカで集中しつつ
感謝の気持ちをのっけて1000巻まで累積させる読誦のほうが
韻を踏んでいてリズムがよく労力も少なく、そこに特化したなら
ある意識領域に入る微かな手ごたえを感じやすいし
どっしりしたクンバハカ( 丹田 )への条件付けというのがやりやすいのは
実際私自身が(  趣味みたいなものとはいえ苦労して )実際に本当に実践し体験した上でも、それは確信をもって言えるからです。

 

 

ここで少し考えてもらいたいんですが

 

 

脳の活性的最適化とある意識へのシフトへの
微かながらでも確実な手ごたえと丹田
( クンバハカにしたときに引き締まる仮想空間 )への条件付けと
神経過敏ではなく、どっしりした落ち着きが出てくるクンバハカの
深い意識でのコンクリーティングの数稽古というのを考えたとき

 

 

 

大祓祝詞1000巻をクンバハカで持続的に読みなさい!それで達成できます!

 

 

 

あるいは

 

 

 

般若心経1000巻をクンバハカで持続的に読みなさい!それで達成できます!

 

 

 

と、ある方から指南されたとして

 

 

 

もちろん、人それぞれ千差万別各人各様の功徳はあるとは思っていますが
私みたいに自らを被験者にして後学のためにライフ・ワークでやる方は置いといて
習慣性を応用したら、もちろん誰でも出来ますけど
時間的負担という点で結構大変なことがわかるはずです。

 

 

 

大祓祝詞の場合 暗唱できたとして最初は8分×1000回=8000分 

 

 

 

133時間もかかります。

 

 

 

般若心経の場合でも暗唱できたとして3分×1000回=3000分

 

 

 

大祓祝詞ほどは時間はかかりませんが、それでも50時間もかかります。

 

 

 

実際に私はやったので、わかるのですがライフ・ワークみたいなものとはいえ
案外と大変です。

 

 

 

しかし

 

 

 

延命十句観音経の場合は暗唱するのも早く覚えられるし30秒として計算しても

 

 

 

0.5分×1000=500分 8時間でよいことになる。
8時間なら、1日15分から20分を少しずつ累積させて
忙しいあなたでも、なんとか工面( 確保 )できるのではないでしょうか?

 

 

 

もしあなたが今回の方法に何らかの微かな手ごたえを感じて後年大祓祝詞で実践するにしろ、その他のものでやるにしろ

 

 

 

こういうやり方もあるのを知って実践する際に

 

 

 

脳の活性的最適化と気海丹田に気を鎮める感覚を体で確認するのにも
この延命十句のお経で最初に実践するほうがよいと私は思ってます。
(  私の場合はスクリーニングしてる関係で
後の祭りということになったわけですけど・・・
なぜなら白隠禅師は氣海丹田をとても大事にしておられた方で
その方が、この延命十句観音経が庶民にはよい!と言い切ってるので )

 

 

 

 

 

また「 数の秘密 」という点についても1000というのには秘密があると思ってます。

 

 

 

 

 

諺にも

 

 

 

石の上にも三年( およそ1000日 )ってのがありますし
千里の道も一歩からというのもある。

 

 

 

あるいは

 

 

 

千本ノックとか千日回峰行とか千にまつわる数字は割とよく出てきて

 

 

 

千という数字は成就を表し
そこに導く数の積算された「到達点」という意味合いで使われてるケースが多いですよね。

 

 

 

私が今回重要な文献として引用させていただいた
「延命十句観音経霊験記」のなかにも
一心に千回誦せ!と「 1000 」という数字が6回も出てきます。

 

 

 

1000回というのは能力開発上も何か秘密があると思うのです。

 

 

 

 

 

作法とかよく知らなくても、氣を込めて尊いお経を繰り返して
少しずつ集中し暗唱スピードを上げていったら「 脳自体 」が速いスピードに適応し慣れて
最適化するのと、クンバハカの深い意識のコンクリーティング

 

 

 

さらには、その´ある意識状態´にスッと入る何らかの微かな手ごたえけでも
真剣に実践を繰り返し積算為さった方については
最低の保険として得てほしいと思っているので
実体験上の証拠も掲載しておきます。

 

 

 

 

 

以下は、延命十句観音経を一回唱え終わるのにかかっていた時間と回数の関係です。

 

 

 

自分自身を実験サンプルにして、他人のように客観評価していくしかなかったのですが

 

少しずつでもこれまでの能力を超える負荷を少しずつかけて脳を馴らし最適化させながら
集中しつつ発する言葉に尊敬をはらうようにし毎日暗唱スピードを高めようと思い記録を取ってやっていったところ

 

最初は20秒以上かかってたのが累積1000回( 1000巻 )を越えるころには

 

心(気持ち)を気海丹田に沈めて置き込めるのは全く変わりませんが
ある意識領域にフッと入り声帯を震わすのではない下腹( 丹田 )で深層の筋肉で高速暗唱するという形で数秒で唱えられるようになっていました。
クンバハカも稽古し定着しやすく、どっしりとした気持ちになるので一石二鳥かと思っています。

 

さらに次の段階の呼吸制御のやり方もありますが無理する方が出たらよくない。少しリスクがあるので書かないけど・・

 

 

 

実践の初期は4000回、5000回・・ましてや3万回なんて途方もないと思うかもしれません。

 

そうなんです。最初は途方もなく感じるんです。

 

最初の100回〜150回は
15分から20分程度が1区切りの形の実践で
有我一念で気を込め注意集中し1回唱えるごとに´爪楊枝´を1個置くやり方でやっていってたんですが

 

その時は1回唱えるのに平均30秒近くかかっています。

 

たった150回唱えるのすらも1日15分から20分という枠で実践し
75分( 5日くらい )かかってた。

 

ですが、クンバハカにしてから腰を引きながら腹を前にだし首の筋肉をほぐして脳に酸素が豊富に巡るようにしたり
体を揺らしたりして息の通りを調整し
肩の力を含めた上半身の脱力を丹田( 下腹 )にストンと落としてバランスさせ
定着させつつも少しずつでも速くというので定着と慣らしを織り交ぜ少しずつ無理のないかたちの負荷をかけ
気持ちを丹田に込めて有我一念で時間を区切って、´この時間だけは´という形で
日々地道に只管に数の累積をさせていったところ

 

1000回超えるか超えないかくらいのとこでは
気持ちを込めて言葉に尊敬を込めて集中してやっていったら
( 当然尊敬の気持ちは出る(;^_^A500年に1人の名僧が大事にした尊いお経なので(;^_^A )
体も脳も馴染んでて、すっと深い意識に遷移し
無我無念に近似した深い領域に入り暗唱スピードがバコーーンと跳ね上がり
同じ75分の時間で、機械的ではない
リラックスをし安心しつつも気をさらに込めた1000回読誦( 心誦 )が、できるようになってる。
出る息でも入る息でも呼吸を乱さず余念なく適度なリラックス状態で
高速で唱えられる・・
そうなってくると1日15分という枠での実践でも5日程度で1000遍を満たせる。

 

このときは、読誦スピードが超高速になってたので15分から20分を一区切りに
心の中で指折りし10回ごとに´爪楊枝´を1個置くというやり方にしてやっていました。

 

最終的には、そういうのもせず、この時間だけは余念なく集中するというやり方で
平均速度から勘案して数を出すというようなやり方にしていった・・と申しますか・・

 

なお印とかまでは各自自由とは思いますが
私の場合は右手の上に左手をおく形の法界定印を組むほうが落ち着くので
その印にし、法界定印を組んだ際の空間位置を参考に
必ずクンバハカにして自身の気海丹田の位置を意識しやすくして実行したというのは
少し創意工夫した点ではあります。

 

 

 

延命十句観音経でも白隠禅師の霊験記によると
1000回というのが一つの回数の目安になってまして
白隠禅師の手紙を仔細に検討すると次が3000回、さらに1万回
3万回という数字が、手紙の中に、ちらついて出てきます。

 

500年に一人の名僧と謡われた御方ですから
この数字に何かはかりしれないものを秘めさせてるやもしれません。

 

 

このあたりの数字( 回数 )も意識するのも
能力を含めた何らかの底上げを含めて神秘的な何かがあるのかもしれません。

 

 

いずれにしろ形而上の奇譚は、発動条件がいろいろありそうなので、そっと棚上げし

 

個人でやる際は「1000回」を目標にクンバハカにして地道に丹田に氣を込め一念を込めて、このお経を読誦し
少しずつでも暗唱スピードを上げる負荷をかけて
回数を累積させたら、1000回前後くらいで、ある意識領域にシフトする微かな感覚を得やすくなるし

 

このお経に気を向けさらに気海丹田まで気を鎮め、この温かいとこを意識し有我一念で集中することで集中力も養うし

 

朗誦または黙唱することで魂を鼓舞し心を明るい気持ちにする句を繰り返すことで
心のお掃除になり深い呼吸も養われる。

 

少なくとも脳が言葉のフレーズに馴れて
暗唱スピードに突然の爆発的変化が生じるのだけは

 

能力開発のご利益という´保険´がかけられ、そこに特化したならば

 

この十句経が最も手間も時間もかからない・・優れてるし

 

クンバハカ( 丹田 )への深い意識での意識付けと数稽古ができるという点でもよいと体験上思ってます。
クンバハカの数稽古の訓練なんて、クンバハカ自体が簡単すぎるので、こういうのと抱き合わせじゃないと
地味すぎてやれそうもないという私みたいな欲張りな考え方の方にはお勧めです。