ハーバード・メディカルスクールの研究者をはじめとする合同研究チームが発表した研究によると
16人の被験者を対象に1日30分のマインドフルネスの習慣を8週間続けさせたところ
その変化の一つに「扁桃体の灰白質密度の低下」があり
瞑想を行わなかったグループは扁桃体の灰白質密度には変化がなかったそうです。

 

つまり実際に扁桃体の領域が小さくなり、不安やストレスが抑制されたことを意味します。

 

それ以外にも学習や記憶能力、感情の制御などをつかさどる脳の部位の機能がアップしたことが明らかになったとのこと。

 

毎日の「座禅」で大脳の5つの部位の体積が実際に大きくなるという研究結果を報告しています。

 

このように坐禅の基礎である呼吸と瞑想が単なるプラシーボではなく
大脳を構造的に変えストレス解消に効果的で「信じなくても効く」ということが
ストレス先進国アメリカで科学的に実証され、坐禅( ZEN )が世界的ブームになっています。

 

こういう功利主義的潮流は一部の方にとっては面白くないかもしれません。
ZEN( 禅 )とはそういうものではない!ただ座るというのが真髄であり大事なのだ!と主張する方も多いとは思いますが

 

それでもZEN( 禅 )がマインドフルネスとして支流化され、ここまで世界的に広まってるのは
日本人の一人として誇らしい気持ちになります。

 

で、実は・・

 

ZEN( 禅 )のルーツの一人になってる方が、実は延命十句観音経を熱心に広めた白隠禅師でして
この方は江戸時代中期を生きた方なのですが

 

「駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠」
という歌まであるほど
500年に一人の名僧と言われてる方です。

 

白隠禅師の略歴を辿るなら

 

禅師は、幼名を岩次郎といい、非常に感受性の強い方でして
幼い頃、地獄の絵解きを聞いて、死後に地獄に落ちるのが怖くなり、それが動機となって15歳で出家したと言われています。
そんな禅師でしたが良師を求めて前駆行脚し23歳の時に富士山のふもとの松蔭寺に帰って修行してるとき
富士山が大噴火した際には禅師は禅堂で坐禅をしていましたが、
まわりの雲水や寺の人達もみんな外に逃げ出したのに
白隠禅師だけは禅堂内にあって動かず、周りの人が「外に出ろ出ろ!」と言っても、坐禅をやめようとしなかったのだとか。
「 悟り開けず、たいしたことのない坊さんになるのなら、今ここで死んでもかまわない!」
 そう誓って坐禅をしたまま動かなかったというのです。
その後も全国行脚をして新潟県のお寺で寝食を忘れて修行するなかで
24歳で遠くから鐘の音が響く音を聴いて悟ったと言います。

 

その思想や生き方を門外漢の立場で追いかけるなら

 

白隠禅師は、考え方や振舞いが私のブログなどでたびたび取り上げている中村天風先生と似てるとこもあると思ってます。

 

天風先生と被るところは

 

ひどい神経衰弱と同時に肺病にかかってしまったというところでしょうか?
ただし、禅師の場合は寝食を忘れた修行のあまりにもの激しさで
そのような症状になったのは異なってますけど・・

 

 

あとは

 

中国禅を昇華した形で和様化( 日本化 )したのと
悟りを身近な生活へ如何に具体化するか?というのに心を砕いて
現場主義的で生活実証主義と言いますか
庶民にも届きやすい身近な形に砕いて伝えていったというのが似ています。

 

その一方で

 

直弟子は直弟子で、いかに立派にするか?
というのに力点を置いていたことでしょう。
直弟子には相当に厳しい指導で有名だったと聞いています。

 

さらに

 

もうひとつの忘れてはならない天風先生とのゆるやかな共通点という点では

 

不思議なことに
この御方の言行録やエピソードを俯瞰するに
禅師はどうやらクンバハカを自力で体得なさっていたふしがあって
白隠禅師の門下には優秀なお弟子さんが数多く輩出されてますが

 

お弟子さんたちにも
口を酸っぱく「 事あるときには、肛門を締めよ 」

 

大事に出会った時こそ
肛門だけは緩めるなよ!と伝授していたとされています。

 

これについては

 

このたった一つの教えだけに徹した

 

禅師のお弟子さんのお一人が

 

嵐( 大しけ )に遭遇して難破し
肛門を締めて、そこに気持ちを行念( 凝念 )し
そのまま気を失い仮死のまま浜辺に打ち上げられ命拾いした逸話は
天風先生の本などでも紹介されてまして、とても有名です。

 

 

事あるときは肛門締めろとかバカバカしいと思うかもしれませんが
力仕事で重いものを持つ事がある時なども
肛門を締めてグッと腰に氣を集めてクンバハカにして持ったほうがいいですよ。
たった、これだけでも体の耐久力は格段に高まります。

 

 

 

そういうの知らずに・・あるいは以前の私みたいに肛門締めろとか・・なにこれ‥
俺はもっと高尚なのがいい!!と侮ってたら

 

 

 

都度・都度の神経反射の不調節のダメージがジワジワ蓄積され
以前の私みたいに、「朝起きたら劇的に腰が痛く半歩も動けない(どころか起き上がれない)」
神経すり減って血のしょん●べんってのもあったり、まあ、いろいろあったけど

 

 

 

腰をやってしまって歩くどころか立ち上がることすら痛くて出来ない・・

 

 

もう遠き日の思い出ですが

 

独身時代、少し腰に違和感あるな・・というのを騙しだまし過ごしてたら
ある日朝起きたら腰が痛すぎて動けない・・起き上がれないということになり
(当時携帯を持ってなかったので)脂汗をかきながら布団から這い出て
赤ちゃんみたいに這って行く・・
しかも痛すぎて休み休みじゃないと進めない・・
這っていくスピード・・うろ覚えでは分速30p〜40cmで・・
たった数メートルに20分くらいかかったと思う。
ナマケモノって動物が、確か、時速16mと聞いてるので
奇しくもあまり変わらない。
タイムマシンがあったら、おそらくすごい絵になってたと思う。

 

 

 

そういうスピードで這いながら脂汗を滝のようにダラダラ流しつつ何とか電話機までたどり着いて
休むことを会社に電話する・・

 

 

 

ってなことになったりする場合だってある。

 

 

 

「 事あるときには、肛門を締める 」

 

 

こういうの、もっと早く知っておけば・・と・・これを後で知って後悔した某知人みたいに
椎間板ヘルニアになって神経根ブロック注射という注射自体も
大の大人が思わずギャッ!と叫ぶほど・・恐ろしく痛いらしいけど
そういう治療を余儀なくされたり
痛みのピーク時には悶絶するほど激しく痛むことがある腰痛の痛み止めの注射を打つ・・
なんてことから免れることが出来るかもしれない。

 

 

 

力仕事で重いものを持つときなども肛門をきゅっと締めてクンバハカにして物を持つのは
体の耐久力の面でも鉄則ですから。

 

 

 

「 事あるときには、肛門を締める 」

 

 

白隠禅師は、250年以上前の方でして

 

 

事ある時には肩−下腹の臍下3寸−肛門を三位一体で連動させ
ストレス刺激をいなす天風先生のクンバハカ法には生活実感上‥さすがに及ばないとは思ってますが

 

 

現代人にも通用することを、このように簡単な形で教えてるとこもあります。

 

だからとて

 

禅師は、決して凡愚が推し量れるような御方ではなく

 

「 生涯に大悟(だいご)18度、小悟(しょうご)数を知れず 」

 

というほど精神を研ぎ霊性を磨くことに精励し

 

1回悟った後でも、さらに精進に精進を重ね

 

直弟子たちにも悟後の修行を熱心に説いた方と言われてます。

 

私自身も、その実践的で実務的なとことか含めて

 

さらに悟った後にも凄い修行もなさってて

 

かなり好きな方です。
今回の件でイメージが変わり、さらに好きになりました。

 

その歴史背景を俯瞰してみますと

 

白隠禅師が活躍したのは元禄の世でして

 

江戸時代の中期頃になると

 

仏教は檀家制度が固まって
幕府によって僧侶の生活が手厚く過保護的に保障され
そこに気概や迫力、緊張感が全くない。
僧達は安穏とし、だらけ切って修行や精進もしない。
下座に降りて民衆の中に入って
積極的働きかけをしなくなり
すっかり自堕落化し腐敗していったと言われてます。

 

そういう退廃化した背景もあって江戸末期〜維新の
廃仏毀釈の機運を盛り上げて
国家神道という動きを作って神道のコアの瑞々しいとこが置き去りにされ
形骸化し先鋭化して政治のプロパガンダ化していったとも一部に聞いてます。

 

そういう退廃的空気が忍び寄ってるなかで
白隠禅師は、良師を求めて全国行脚しつつすさまじい気迫で修行をして
先にも述べたように新潟県のお寺で24歳にして悟った後も
慢心を・・・( オオカミが蠢く中で座禅したという伝説がある )正受老師に正されたり
寝食を忘れた修行のあまりにもの激しさで
狂いと紙一重と申しますかノイローゼになったり
体も壊して結核になったり、いろいろあったようです。

 

そういう症状ものちに丹田呼吸で命を蘇生させ
晩年は神道にもゆるく近づき研究したそうですが
その後も研鑽を続け
臨在禅を刷新し清新化為さった中興の祖という名も冠しています。

 

白隠という御方は、そういう凄い方で高い境涯に達してて
悟後の修行はもちろん、そのご生涯のほとんどを
庶民に届きやすい使える生活禅の普及と庶民の教化と
当時の庶民の苦を除くことに最も心を砕いた方とも言えます。

 

そうして晩年になればなるほど円さが加わり直弟子への指導はまことに苛烈、厳格で
自身が正受老師に指導されたごとく鬼軍曹であることには変わりませんが

 

庶民には厳しくつらい修行とかいったことは仰らず
やわらかく、かみ砕いて見えざる高次の天の法則や働きを説くことを常としていたと言われています。