延命十句観音経霊験記の内容については
手紙が後年本になってるのですが

 

 

この手紙の冒頭で送り先である大名から、以前にその大名の屋敷に赴いた際に
懇ろにもてなしてくれたことのお礼や屋敷の壮麗さ、時候の挨拶的な前置き等が終わると

 

 

4、5ページ目からいきなり

 

 

この経(「延命十句観音経」 )は古代中国由来の偽経ともいわれてるけども
偽経でも霊験が他を圧倒している・・このお経はリアル世界でも
切羽詰まった目の前の障害を切り抜けるのに
異次元の威力を発揮するのだから実践すべき・・
という確信の籠った筆致になってまして

 

手厚くもてなしてくれたさる大名に家の没落を防ぎ
人智では及ばない天の理(ことわり)を悟って
さらなる家運隆盛のためにも、くれぐれも・・と・・

 

先の十句42文字のお経を

 

なんと・・わざわざ半紙に20枚も書いて

 

この手紙に添えて、くれぐれも・・と実践することを促してるんです。

 

( 恐らく白隠禅師は、全国を旅する中で、多くの没落も現実に目にしてきたから
というのもあるんだと思いますし、この、ある大名も謙虚で偉い方だったから白隠禅師の筆の勢いが増したんだと思います・・ )

 

 

 

もちろん外道に走らないように釘もさしておられて

 

 

長い手紙の文末には

 

「 正眼( しょうがん )に見来れば、唯是世間 

 

住相有為夢幻( じゅうそうういむげん)空華の談論、取るに足らず」

 

「茲に一段眞正最妙最玄最も第一なる底の大霊験有り」

 

 

 

として真の大霊験は大安楽、大解脱、大歓喜の見性体験を得ることですよ!

 

これを得たら、さらに、より精進すべし!

 

としてるとこが禅師の名僧たる由縁ってとこなんでしょうけど

 

 

そうとは言え

 

あの名僧にして、かの大名のために、お家の没落を防ぎさらなる興隆のために
初心に還って一層陰徳を積むことへの諭しと
10句42文字のお経読誦に対する愛と賛美が止まらない。

 

十句観音経にわざわざ「 延命 」

 

命を延ばすという二句を添えてまでして

 

異様なまでの情熱を傾けてプッシュしている。

 

 

 

手紙の中から

 

白隠禅師の直の感想のごく一部をピックアップすると

 

 

「 この御経の霊験、老僧が身の上においても
心も言葉も及ばざる有難き事ども数多たびこれあり 」

 

 

として自身でも実践し奇妙で有難い体験が数多あったんでしょう。

 

 

 

さらに

 

禅師は40代半ばくらいから、この長い手紙を書き与えた70代半ばに至るまで
10句42文字のお経をプッシュしまくりで
一般庶民に薦めまくって多くの庶民が助かってきたことも綴られていまして

 

 

 

このお経を眞誦したいと欲するなら

 

斎戒沐浴し

 

厚く坐物をしき、端念正座し、脊梁骨を堅起し

 

このお経を

 

氣海丹田の寶(宝)所に向けて真心こめて単々に念誦なさい!

 

そうして(氣海丹田に向けた)心上には謹んで念比( ねんごろ )に観察なさい。

 

 

と方法も含めてプッシュしまくってまして

 

 

 

「 老僧二三十年来、老幼男女を選ばず此の大事を以て指南し来るに
 十が八九に大利益を得ずということなし、今日に至て
 力を得るものは何千人といふ数をしらず 」

 

 

 

 

これを敬う気持ちを以て氣海丹田の寶所に向けて
深い精神集中を伴わせて単々と念誦していったら

 

 

やがて氷盤( ひょうぼん )を擲さいするに似て

 

八識頼耶の含蔵識を粉砕し塵沙無明の大根本を抜却す・・( 中略 )

 

 

 

 

として

 

 

かいつまんで現代訳するなら

 

やや恣意性の入った意訳になりますけど

 

このお経( マントラ )を氣海丹田の寶所(宝所)に向けて深く集中し念誦し
謹んで参究を積み重ねることが

 

阿頼耶識という潜在意識の深い最深層に詰まっている
あっても何の役にも立たない嫌な記憶を含めたクリーニングになりますよ!

 

それだけでなくリアルの現実においても

 

二進も三進もいかないという窮地なときほど

 

とりわけ、このマントラをひたむきに実践すると霊験を発揮してくれますよ!

 

 

 

そういうのでなくても

 

 

氣海丹田の寶(宝)所に向けて不退転の決意で真心こめて虚心単々と念誦なさい!

 

 

そうしたら

 

十のうちの八か九まで(80%または90%の確率)で
大利益を得ずということは決してない!
今日に至って力を得るものは何千人という数を知らない! 

 

 

とあれほどの名僧が、そこまで確信を持って、さる有力大名に言い切っています。

 

( 今でこそ名僧の名をほしいままにしてますが、当時のシチュエーションからしたら
禅師は位階など頓着なかったそうで70代になっても僧の位が非常に低いまま・・
 当時の状況からの俯瞰では、そういう僧位のお坊さんが
当時身分最高位の武士の棟梁の大名に言い切ってるんですから
下手なことは書けない・・相当の気迫と真心で書いてることがわかります )

 

そこまでの迫力でプッシュしてる。

 

 

 

 

 

 

 

この手紙によると

 

 

この十句経の由縁は

 

この10句42文字のお経の元々の由縁は
4世紀〜5世紀の古代中国にまで遡ることができるそうでして

 

 

中国の東魏のある将軍で群主だった方で
観音信仰の格別厚かった方が
冤罪で死刑宣告を受け

 

翌日に死刑執行( 斬首 )されるという際に

 

夢に修行僧が出てきたそう

 

その僧によると高王観音経( 延命十句観音経と類した内容 )を夢で伝授され
それを1000回誦せば、この窮地から救われると告げられた。

 

夢で見たことを、これが最後という気持ちで念入りに実行したところ

 

次の日、刑場に立たされ
その時点で900回まで誦してて

 

残りの100回を刑場に行く途中・・

 

刑吏にゆっくりと連れて行ってくれるように頼んで

 

その間に100回唱え死刑執行前に1000回目の読誦を終えた。
すると刀が3回とも折れて彼は死を免れることができた。

 

 

 

これが母体になっていると、その内容にあります。

 

 

仏祖統紀に、これと似た話で、この話は、高王観音経でなく
この10句42文字の延命十句観音経を1000回真剣に念誦することで
危機一髪の窮地( 死刑執行 )を免れたという2つの話から
窮地を脱するという由来があるとされてる。

 

 

 

 

それを受けたせいなのか

 

江戸時代に霊元法皇(112代天皇)が延暦寺の霊空律師に

 

幾万のお経の中から恩恵の大きいお経を調べなさいと命じて

 

それを請けて霊空律師が探しまくって、これ( 十句観音経 )を進献した由縁が日本にあるのだとか。

 

 

白隠禅師ご自身も、庶民に、これを薦め、禅師が見聞した奇譚によると
以下のような奇跡的なことが起こって
私( 白隠禅師 )自身も喜び驚き呆れているといったことが書かれてます。

 

 

 

 

幾つか挙げてみますと

 

明治以前の日本人は神仏を本気かつ素朴に信じていた
という信念の強さっていうのと親戚、地縁の連帯の強さってあると思うんで・・そこを差っ引いてお読みください。

 

 

〇京都三条通町のある家で百薬効かず重い病で臥せっていた妻を助けたいと思って
北野天満宮に7日間祈願した男がいた。
そうして満願したところ、その日の夜に、ふと立ち寄ったお店でお茶を飲んでると
老僧が、一人腰かけていた。
老僧から、なぜ祈願をしてるのかを問われた男は深刻な事情を、かの僧に話したところ

 

この老僧から、この十句42文字のマントラ(お経)を授けられた。

 

その後、帰ってみると家族や親類たちも男が帰宅する、ついぞ直前に
老僧から授けられたと同じお経を寝床の妻の周りで声高に唱えていた。

 

不可解なことがあるものよと思った男は
わけを聞いたところ、老僧が訪ねてきて、このお経を伝授されたという。

 

不思議なこともあるものよと男は家族、親類縁者総出で
真心を込めて心を一つに高声に念誦したところ
百薬効かず万策尽きて手の打ちようのなかった瀕死の重病人が奇跡的に治ったという

 

 

〇現在の広島県〜岡山のある城下に
飛び抜けて可憐で美人な、お綾さんという方がいた。
この方は琴などの技芸に長け、ずば抜けた才があって人気も高かった。

 

ところが、その芸事をお綾さんに授け教えたお師匠にあたる方に
異性関係でストーカーまがいの執念深い恋慕をされ

 

ドロドロになった挙句、その師匠は恋煩いが極点まで達して
恨みと怨嗟の言葉を述べながら亡くなった。

 

それからというもの、なぜか、お綾さんは、ひどい倦怠感にも悩まされ
至芸ともいえる琴の音を奏でる肝心の指がぶるぶる痺れて全く弾けなくなった。

 

挙句の果ては首にぐるんと数珠をかけたように
首の周りに腫瘍みたいな得体のしれない気色悪い赤黒いブツブツもでき
医者に見せても手の打ちようもない仕事も手につかなくなって体もけいれんし
とうとう仕事が一切出来なくなった。

 

そうして病状悪化し

 

こんな限りない苦しみはあるのかというくらい

 

ウンウン唸って立ち上がることすらできないで寝込んでいた。

 

その相談を受けた白隠禅師は

 

( この手紙を書いた当時70代半ばの頃から遡ること7、8年前のことらしい )

 

この10句42文字のお経を授けて読誦するよう薦めた。

 

そうして本人含め周りも真心を込めて一致団結し
昼夜を分かたず声高に念誦したところ
亡くなったお師匠がお綾さんの夢に出てきてお礼を言い
お綾さんの首の腫物も跡形もなく治癒し、のしかかってくるような
ひどい倦怠感や体の痺れもおさまり

 

歓喜雀躍、お琴の仕事も一層磨きがかかって、妙境( 名人の域 )に達するほど、できるようになったという

 

( 現代医学の精神療法的には、お綾さんは妄執に囚われてたと診断できなくはないのかもしれませんが、結果オーライです )

 

 

 

 

〇これと同じ時期に現在の広島県〜岡山のある城下に
30歳少し手前くらいの武士がいたが
突然精神疾患に罹り野獣のように暴れ回り誰彼構わず刀まで振り回す・・
狂いまわって、もはや手が付けられなくなった。
親類一同で評議して
近くの穴蔵の底に牢舎を作って閉じ込めるしかないということになった。
その武士( 若者 )は3年近く、このような有様に陥っていたという。

 

この若者の両親も看病する方々も困り果て疲れ果てていたところ

 

先に紹介した「 お綾さんが奇跡的に治癒した逸話 」が、
この両親の耳にまで風の便りで届いた。

 

 

 

白隠禅師が、この近くに来てるということも知り禅師に相談することにした。

 

 

相談を受けた禅師は

 

お綾さんだけでなく、これこれこういうことで奇跡的に治った事例や
切羽詰まった目の前の苦境が不思議に去った例は数多ある
他にも、たくさんある・・ということをつぶさに話して聞かせ

 

 

この十句42文字のマントラ(お経)を教えた。

 

そうして若者を止む無く閉じ込めてる牢屋の前で家族、看病人総出で
真心を込めて心を一つにして高声に念誦した。
日を経て病人( 若者 )も読誦するようになっていき
武士(若者)が奇跡的に正気に戻って、さらには、しばらくして元の仕事にも復帰できた。

 

家族、親類諸共涙を流して喜んだという

 

 

しばらくして、旅から帰った禅師がお寺で、その吉報を若者の父親から長文の手紙で受けた。

 

 

( <禅師は>はかりしれない喜びを感じたと大名にあてた手紙に書いています )

 

 

 

〇さる城下の有力な家の主人が数多く雇ってる女中さんの中に
群を抜いて美人でとびきり気立てのよい年頃の小屋野という娘さんがいた。

 

主人も、とりわけ目をかけて可愛がっていた。

 

ほどなくして

 

主人の家来に当たる供周りの役職を持つ里介という名の若者が

 

主人の許しもなく、勝手に、この娘さんに手を出してしまった。

 

周りの先輩で小屋野さんを羨んでた女中さんがそれを主人に告げ口したから、さあ大変

 

( 相愛だったそうなのですが・・昔の主従関係というのは、けた違いに厳格だからでしょう )

 

里介は主人から

 

「 家臣のくせに何たる不届きものか!」と烈火のごとく激怒され

 

この主人は、この小屋野さんを特別可愛がってたのも火に油を注ぎ激しく憎まれ

 

主人から首根っこをつかまえられ引きずり廻され、白州の間に引き出され

 

 

刀で一刀両断打ち首にされるところだった。

 

しかし主人の老母に当たる方から

 

本日は神君( 家康公 )の命日( 8月17日 )であるから
天下の武士が本日、そういうことをするのはよくない!お主は改易か追放になるぞ!
と涙ながらに老母に訴えられ

 

直前で刑の執行が止められた。

 

( 主人は、すんでのところで思い止まったものの )

 

打ち首は明日に延期する・・
それまでは、湯殿の浴槽に畳を上敷きし、こやつを閉じ込めておけ!
少しでも畳を動かしたら動かしたものは同罪( 死罪 )とする!ということになった。

 

(恐らく息子<主人>に怒りに燃えて殺生してほしくなかったし、この若者も助けたかったという老母の慈悲もあったと思うのですが)

 

湯殿(風呂の浴槽の上に畳を数十枚積み重ね水抜きの穴から息ができるような狭いとこ)に監禁された里介は
そっと忍んで寄った主人の老母から、恋仲だった女中の小屋野さんも供に一緒になって供に十句42文字の延命十句観音経を授けられた。
小屋野さんも含めて一緒に3人でしばらく一心に唱え二人が、そっと立ち去ってから
里介は狭く暗い湯殿に拘束された中で誓願を立て
打ち首になる前夜から明け方にかけて、どうせ死ぬならせめて・・と死ぬ気で間断なく念誦した。

 

そうしたところ主人の憎しみや激しい怒りは決して静まらなかったけれども
<不思議すぎてこのページでは書きませんが>ある不可思議で奇跡的な成り行きで難を逃れ
紆余曲折を経て、里介は名も改め智源とし、ある有力な家の養子になり
その家の美しい娘と出会い、その娘をめとって
十数年のうちに思いもかけない出世をし知行取りになったという

 

 

その他の逸話としては

 

明治以前の日本人は神仏を本気かつ素朴に信じていた
という信念の強さっていうのと親戚、地縁の温かさや団結力の強さってあるとは思うんですが

 

約1カ月( 27日間 )で3万巻をあげたご夫婦に起こった奇譚と近隣住民の温かい団結、連帯の強さには
江戸時代って悪い時代ではなかったんじゃないか・・と考えさせられる微笑ましい逸話もありました。

 

私がこれまで禅師に抱いてた鬼軍曹のイメージが粉々に粉砕されるほど白隠禅師の愛情や筆の温かさも極まっています。

 

 

その他のエピソードについては興味のある方は調べていただくか本を読んでいただければわかることなので書き控えますが

 

 

そういうふうに、さる大名あてに送った手紙の中に、こういった逸話が
古代中国の奇譚を併せて白隠禅師が体験した
( 通常では考えられない )不可思議な御利益が20くらい出てきます。