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松本幸四郎 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)から引用
7代目松本幸四郎(しちだいめ まつもと こうしろう、明治3年(1870年) - 昭和24年(1949年)1月28日)は、歌舞伎役者。本名、藤間 金太郎。舞踊名、3代目藤間勘右衛門・藤間勘斎。屋号は高麗屋。俳名は錦升、琴松、紫香。
三重県四日市市の武士の家の出。3歳で振付師2代目藤間勘右衛門の養子となる。明治13年(1880年)、9代目市川團十郎門人となり、市川金太郎。
翌明治14年(1881年)4月、東京春木座において「近江源氏先陣館・盛綱陣屋」の小四郎が初舞台。
明治22年(1889年)3月、新富座で4代目市川染五郎を襲名。明治35年(1902年)5月、歌舞伎座で8代目市川高麗蔵を、師匠の口上で襲名。團菊を次ぐ新世代の有望株として満都の注目を浴びる。
明治44年(1911年)11月、帝国劇場で7代目松本幸四郎を襲名。
帝国劇場を拠点に活躍し、新作や外国の翻訳劇、オペラ「露営の夢」の上演を試みるなど活躍。のち松竹に所属する。恵まれた容貌、堂々たる口跡に裏打ちされた風格ある舞台で、時代物、荒事に本領を発揮した。又、舞踊にも秀で藤間流の家元として活躍した。
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