一般的にヨーガあるいは、ヨガというのは、「 結びつくこと 」を意味します。 ヨーガの語源が「 馬を車につなぐ 」「 牛や馬を車の軛につなぐ 」という意味があり ヨーガ(yoga)という言葉もサンスクリット語から派生したもので、ユジュ(yuj)という語を語源としています。 このユジュ(yuj)には、「 二つのものを合わせる( 合一 )、出会う( 瞑合 )、つながってゆく( 結合 ) 」という意味があります。 この「 結合 」や「 合一 」「 冥合 」という意味は、インド哲学の思想でもあります。 梵我一如(ぼんがいちにょ)出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』にもあるように ヨーガ(yoga)は 「 梵我一如( ぼんがいちにょ ) 」の中にも脈々と息づいているのです。 その意味は、宇宙の原則( 梵 ブラフマン)と人の内奥に拡がって存在する感覚せざる真我( アートマン )とは同一であるという根本原理に目覚めることで、心の上位概念としての 感覚せざる真の自我( 自己の本質 )を見極めることができるというのです。 ちょっと大風呂敷氣味になってしまいましたが まさに馬のように動く心を真我に結びつけて、原則と調和している状態・・と言えます。 ヨーガとは 「 心と身体が統一され最高に安定し安住している状態 」 と言うことも出来ます。 心・身体・見えざる氣( 真我:魂 )の束縛を解き ひとつにすることは すなわち 意識を今・ここに最大限集中して、今ここにある感覚に氣づくことと言えるかもしれません。 自分の心や身体を感じ、見つめなおすことで、心と身体に潜勢する力を煥発させ、心身が調和し安定した最高の澄んだ境地に至り、心身と我が悔いのない時を生ききることを目的としていると私は観ています。 ヨーガの発祥は定かではありませんが 講議 タントラヨーガの思想 によると インダス文明発祥の地であるインダス河付近( パキスタン東部 )のモヘンジョダロ遺跡からシヴァ神の原型と見られるヨーガの坐法で座った格好をしている坐像の石像彫刻が発見されたことから、その頃すでにヨーガの原型は出来ていたと推測しているようです。 モヘンジョダロ遺跡 27°19'36.58"N 68°08'15.92"E c)2006 Google, Image(c)2006 DigitalGlobe Image(c)2006 TerraMetrics,(c)2006 Europa Technologies ,Image(c)2006 NASA 古代インドでは、ヨーガは心理的操舵法の一環として、心をある特殊な意識状態( 通常は自覚的に使えないでいる意識 )に至らせる瞑想から始まりました。 今では「 ヨガ 」は日本人なら誰もが一度は耳にしたことがある言葉ではないかと思いますが 広く世界にヨーガブームを引き起こしたのが ヨーガ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 にもあるように マドンナやメグ・ライアンなどのハリウッドスターたちでした。 他にもアンジェリーナ・ジョリー 、グウィネス・パルトロー 、ジェニファー・ロペス、ジュリア・ロバーツ 、ジョディ・フォスター など蒼々たる顔ぶれのハリウッドスターがヨーガに傾倒しています。 韓国女優ではチェ・ジウ らもヨーガをやっているそうです。 このように ヨーガ発祥の地といわれるインド( インダス文明 )からアメリカ、世界へ、そして家庭で氣楽に楽しめる健康法として伝播していったのです。 日本のルーツは、空海の真言密教や禅宗( マントラ・ヨーガ )だとも言われており 日本での近代ヨーガの発展は日本人最初のヨーガ直伝者である哲人・中村天風という方の天風哲学によってもたらされたとも言われています。 ご覧のあなたは、心と身体、そして質の高い生活と自分の結び目が緩んでほどけそうになりかかっていませんか? いろんな結びつき( つながり )が緩んでいきやすい、忙しいストレスにまみれた現代社会に生きる、そんな方にこそヨーガやヨーガを発展的に昇華させた天風哲学が必要なのかもしれません。 ヨーガは、身体と心、日常生活のなかの自分と原則を結び、調和とバランスのとれた生活を確保するための心身統御法と言えるかもしれません。 ヨーガの心身統御法は、宇宙飛行士の訓練や、自律訓練法などの形でも応用され、それらの大根大元になっていると捉えてもいいと思います。 さて そのヨーガですが 先にも述べたように 「 ヨーガ 」という言葉を大正時代から日本へ広めたのは、中村天風という方です。 中村天風は、旧華族の出身で、軍事探偵になり、日清戦争や日露戦争では、中国、ロシアの戦場で暗躍し「 人斬り天風 」として恐れられました。 しかし、死病に罹ることで・・あれほど豪壮だった心が勢いを失墜し 懊悩、煩悶するなかで人生真理を求め、心の問題を解決するために世界を行脚しますが、答えが見つからず 絶体絶命の境地に立たされたとき 不思議な運命のめぐり合わせで エジプトのカイロのホテルでカリアッパというヨーガの導師(グル)に出会い、ヒマラヤ山中へ連れて行かれ 修行を重ねて心を純化することで歓喜の生かす大生命の力に感応しやすくなって「 病や不幸は、自分の心( 迷妄的思い )が生み出すものだ」と悟りました。 日本へ帰り、ヨーガの真髄を説き、東郷平八郎元帥や双葉山など各界の名士から、一般庶民にまで幅広く「 ヨーガ 」の精神を語り 「 ヨーガ 」を更に発展させて、その類まれな波乱万丈の人生が編み出さしめ・・ヨーガの悟りを西洋心理学等と融合させた心身統一道へと昇華させました。 その遺志を継ぐ"天風会"は、2009年で90年目になります。 ヨーガにはさまざまな入り口があります。 ヨガ体操、ヨーガポーズ( アーサナ )、ヨーガ呼吸法、瞑想法、求道的生き方などが窓口になっています。 ヨーガの入り口もいろいろあって 代表的なものは ハタ・ヨーガ( ハタ=太陽と月 ):体操などの身体運動を伴うヨーガであり、生理的的作用から心と身体の結びつきを堅固にして最高の境涯に至らせる方法 ※これは体技が中心で、肉体的には顕著な効果をもたらしますが 「 成功の実現 」等を読むと 天風哲人は、アクロバット風の体操的なハタ・ヨーガについては、あんまりよい印象を抱いていなかったようです。 私の場合は、肉体操錬( 身体的訓練 )を軽視し疎かにしがちでしたので第一義とは思いませんが 馬鹿にしたもんじゃない 土台として、とっても大事だと思っています。 身体も思うように制御できない・・柔軟性を確保できないような人間が身体よりも、もっと高度で繊細な心を制御できるのかな?って思ってますので。 ( もちろん、心〔 理想、想念 〕が 肉身を創っていく力のほうが甚大ですが、肉身が心に与える影響も馬鹿にできないと思っています。 一方で、道徳的で純な生活への戒めとか道徳的制御力やら模範的生活には全く言及しないで・・ ただ体操的なアクロバティックな訓練のみを追及する傾向にあるというのは個人的には・・私も・・よい印象は持っていません ) ラージャ・ヨーガ( ラジャ=王 ):心理的作用から瞑想法によって心と身体の結びつきを堅固にして最高の至高至福の境涯に至らせる方法 ※「 あるヨギの自叙伝 」の著者 ヨガナンダ師が薦めるクリヤ・ヨーガもこの部類に入るかと思います。 カルマ・ヨーガ ( カルマ=業 ):見返りを求めない他への奉仕や慈しみにより善行に励みカルマ( 業 )の浄化を図ることで心と身体の結びつきを堅固にして至誠至純の最高の境涯に至らせる方法 マントラ・ヨーガ( マントラ=神秘的な力を有するとされる唱え言葉 ):呪術・念法的な方法によりマントラ( 真言 )を、一定の時刻・・または・・常時唱え続けることで心と身体の結びつきを堅固にして最高の観天喜地の境涯に至らせる方法 ※日蓮宗の人たちが「 南無妙法蓮華経 」というお題目を唱えて勤行したり、真宗の人たちが、「 南無阿弥陀仏 」と唱えて、マントラそのものになりきる修行と類似した行法と言えるかもしれません。 ジュニャーナ・ヨーガ( ジュニャーナ=智慧 ):高度な論理的哲学的思索により・・知性と知識と知恵の奥底に流れる根本的な沈黙の叡智を直覚することにより、真我( 真実の自己 )を悟り最高の境涯に至らせる方法 などがあります。 ちなみに ジュニャーナ・ヨーガを極めた方として有名なのが あるがままに―ラマナ・マハルシの教え 等の著書でもよく知られている沈黙の聖者 ラマナ・マハルシでしょう。 他にもありますが・・・。 書いていったらきりがありませんので・・。 天風という方がカリアッパ師から学ばせられ体得したヨーガは ラジャとカルマのヨーガだった( 「 成功の実現 」p175〜p176にその記述がある )のですが、ラジャとカルマのヨーガはヨーガのなかでも最高の精神方面のヨーガとして位置づけされているヨーガなのだそうです。 確かに俯瞰( ふかん )してみると ラジャ・ヨーガやカルマ・ヨーガという最高の境涯に到達するための方便というか・・橋渡し・・・として 他のいろいろなヨーガが派生して、ラジャ・ヨーガやカルマ・ヨーガにつなげるために( 前準備として )生まれてきているのかも? と観ることも出来ますね。 私の瑣末な体験でも 上半身の力を抜いて臍下丹田に重心をおいて氣ばらず、力まず緩やかに呼吸をし精神を集中することを習いにしていくと、心が揺さぶられにくくなりましたし 慈悲の氣持ちが湧いてきやすくなるのは感じます。 平常心を保ちやすい氣がします。 |
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